「近江牛」に関する基礎知識

「近江牛」の出荷は年間5,000頭


「近江牛」の条件は、「滋賀県内で最も長く飼育」&「黒毛和牛」だけ


【「近江牛」の定義】

・三大銘柄牛って?

「日本三大銘柄牛」というのがあります。

「松阪牛」「神戸ビーフ」、そして「近江牛」をいいます。これらのどれかの代わりに「米沢牛」を入れる人もいます。

どこか公式の機関が認定したものではありません。自然と言われるようになったもののようです。

同様に、「三大名橋」だって、滋賀県の「瀬田の唐橋」が入ったり入らなかったりします。
・実は「近江牛」になるのは簡単?

「近江牛」の定義はかなりシンプルです。

①黒毛和牛
②(地理的表示)JAS法に定める原産地表示が「滋賀県産」と表示できるもの

この2つだけです。

②は言い換えると、「滋賀県内で最も長く飼育された」ということです。

近江牛は一般的に生後30ヶ月で出荷されます。もし、A県で生まれ、途中までB県で過ごし、最後が滋賀県ならば、この三県の中で滋賀県が最も長ければいいことになります。また、最後が滋賀県でなくてもいいわけですね。

かつては……

①但馬牛を素牛とする
②1日でも滋賀県内で過ごしたもの

……となっていました。①は具体的な条件を省いて言うと、「兵庫県産の優良な子牛を持ってきて育てたもの」ということです。

特に問題になることの多かったのは、②です。「最後の1日だけ、滋賀県に持ってきた」でもOKなわけですから。

以前の条件であろうが、今の条件であろうが、注意して欲しいのは、「肉の品質自体からの定義はない」ということです。
・肉質の等級とは

肉質に関してよく使われるのは「社団法人日本食肉格付協会」の等級です。「A5」とか「B4」とかいっているやつですね。

A~Cの3段階で「歩留まり率」を、5~1の5段階で「肉質」を表しています。

「歩留まり率」とは、牛の丸1頭から内蔵や骨、皮を除いて枝肉として取り出せる比率をいいます。

これは「どれだけを肉として製品にできるか」ということです。つまり、業者にとっては大事でも、食べる側には本来は関係のない話です。

また、「肉質」の方は、「脂肪交雑」「肉の色沢」「肉のしまりとキメ」「脂肪の色沢と質」の4項目でチェックされます。

これは「社団法人日本食肉格付協会」の担当者が、全国共通の基準で判断します。

これも気をつけて欲しいのは、「実際に食べてみたわけではない」ということです。「肉質」と言いながら、「断面の見た目」と「重量などから割り出した数値」だけで決められます。

さらには、「A5」とか「B4」は牛丸1頭について付けられるということです。部位ごとの質の差は考えられていません。
・「近江牛」「A5」もうのみにしないように

このように、「どんな肉質であっても、2つの条件さえ満たせば近江牛」です。

一方の「A5」ランクというのも、“状況証拠”のようなものを集めただけで、「食べてみておいしい」ということの証明にはなりません。

平均すると「A5」は、「A4」や「B3」よりもおいしいでしょう。が、個々に見ていくと、「A5よりもおいしいB4」といったものがあってもおかしくはありません。
【認定「近江牛」とは】

・認定の条件

また、「近江牛」と「肉質等級」を合わせた形のものもあります。

これが、『認定「近江牛」』と呼ばれるものです。

条件は……

①「近江牛」の中でも、枝肉格付けがA4、B4等級以上のもの
②協議会の構成団体の会員が生産したもの
③滋賀食肉センターまたは東京都立芝浦と畜場でと畜・枝肉格付けされたもの

……の三つです。

「協議会」は、「滋賀県食肉事業協同組合、滋賀県肉牛経営者協議会」、「おうみ」和牛繁殖協議会など県内の6つが構成団体になっています。

これも条件を増やしただけで、やはり「状況証拠」の範囲は超えていません。

結局は、お店への信頼と、自分の舌で確かめるしかないでしょう。
・実は東京が近江牛の大消費地

③の条件に「東京都立芝浦と畜場」が入っています。実は、近江牛の大消費地は東京です。

明治以降、近江牛がブランドとして成り立ったのも、東京への売り込みが成功したからです。

そうやってみると、「東京の人間ならば、わざわざ滋賀県にまで行かなくても、地元で近江牛が食べられる」という考え方もできそうです。
【近江牛の産地、生産量】

・ほとんどが県東部で飼育

今の素牛は宮崎、鹿児島、熊本、長崎などから来ています。かつて「近江牛」の条件なっていた兵庫県(但馬)は上位には出てきません。

これを30ヶ月(2年半)程度育てます。

滋賀県といっても、近江八幡市、東近江市、竜王町といった県東部が生産地です。

飼育頭数は約17,000頭、年間の出荷は5,000頭ほどです。
・全体の品質は

実は近江牛のうち、約7割が「A4」「B4」等級以上です。

『認定「近江牛」』のほかの条件はそれほど厳しくありません。

ですから、実際に認定を受けているかどうかは別にして……ほぼこの「70パーセント」が認定「近江牛」のレベルにある……と考えていいでしょう。
【近江牛の歴史】

・江戸時代には「養生薬」として献上

江戸時代まで表向きは牛を食べる習慣はありませんでした。

が、彦根藩が農耕牛を干し肉やみそ漬けけにして、将軍家に献上していました。この際は、「養生薬」という名目にしていました。
・明治になって、東京へ「近江牛」を売り込む

明治になると、牛肉を食べる習慣が広がってきました。特に東京では一気に牛鍋屋の数が増えました。
ところが、その食材となる牛が足りません。

当時はまだ、「肉牛」として飼われている牛はいません。荷運びや農耕のための「使役牛」だけです。

しかも、関東では使役には牛よりも馬を使っていました。関西方面から、牛がかき集められることになります。

この時に活躍したのが、商売に強い近江の人間です。

たとえば、明治12(1879)年には、竹中久次・森嶋留蔵の兄弟が東京に牛肉卸売り小売業「米久」を開業しています。

これらの牛は当初、東海道を歩かせて連れて行きました。

これが3年後には西居庄蔵が神戸港から船に乗せて出荷するようになります。

明治22(1889)年には東海道線が開通し、さらに出荷量を増やしていきます。

【どこで近江牛を食べるか】


【近江牛のお店】

森嶋留蔵の子孫の店が、近江八幡の「毛利志満(もりしま)」、西居庄蔵の子孫のお店が大津市内の「松喜屋」です。

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