『あさが来た』のロケ地・八幡堀「昔からの風景が残っているって、素晴らしい」って、間違いですから

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司馬遼太郎の『街道をゆく』に出てくる八幡堀は殺風景なコンクリート造り

滋賀県の春夏秋冬

NHKの朝ドラ『あさが来た』は主人公は一週目だけが子役。二週目の今は、もう本来の主役の波瑠が演じるようになった。

女性実業家、教育家としての人生を描くのだから、若い時はどんどんすっ飛ばしていくらしい。

ひょっとしたら、明日にも(10月7日)にも嫁入りシーンになりそうだ。どんなに遅くても、今週のうちだろう。

NHK朝ドラ『あさが来た』ロケ地 あさ(波瑠)とはつ(宮﨑あおい)の嫁入りのシーン①

放送開始前からの番組宣伝などで、この嫁入りは舟に乗って行くことがわかっている。そのロケ地は滋賀県近江八幡市の八幡堀だ。

「こんな古びた風景があるのはどこだろう」なんて思う人も出てくるだろうし、「ああ、またあそこか」とすぐにわかる人もいるだろう。

定番のロケ地なのだ。

そこで、もう何回もいっているけど、誤解する人が多いので、もう一度いっておく。

八幡堀の石で囲まれた掘割の風景は、昔からあるものではありません。

 

八幡堀が作られたのは、確かに豊臣時代だ。豊臣秀吉のおいの秀次が八幡山城の城主となり、そのお城のある山の麓に城下町を築いた時だ。

八幡山城はすぐに廃城になった。近江八幡あたりは江戸時代には彦根藩に組み入れられた。近江八幡は城下町ではなくなったけれど、商人町として発展し、八幡堀は琵琶湖水運の要衝としてその後も使われ続けた。

……というところまでは間違いない。

だけども、よく説明されているように、「昔からの風景が残っています」というのは間違いだ。

舟でものを運んだのは、せいぜい戦後のある時期までだろう。多少なりとも昔の風情が残っていたとしても、そこまでだ。

その後、物流は鉄道やトラックに移った。

高度成長期には、ほとんどあるだけ無駄のドブ川になった。使ってもいないものに、手をかけるはずもなく、石垣なんて取り払われてありゃしない。

「埋めて駐車場にしよう」というのも本気で検討されたらしい。

「この荒れ果てた様子がしっかりとわかって、しかもだれでも簡単にチェックができるものがないか」とはずっと思っていた。

ようやく見つけた。司馬遼太郎が『街道をゆく24 近江散歩 奈良散歩』の中で書いている。

「いわば、近江八幡という旧城下町にとっては歴史的象徴というべき堀だが、ただ堀の両岸は美しいとはいえない。土崩れをふせぐために竹木(ちくぼく)を植えればいいと思うのだが、手っとり早くコンクリート固めされている。私どもの文明は、コンクリート病にかかっているのである」(「ケケス)」

……というのが、昭和54(1984)年の八幡堀の風景だ。

コンクリートから今の石垣に変えられたのはずっと後のことなのだ。

しかも、「復元」と呼べるようなものではない。昔の様子などちっともわからないのだから。「なんとなく昔風におもえるように作った」というだけのことだ。

NHK朝ドラ『あさが来た』ロケ地 あさ(波瑠)とはつ(宮﨑あおい)の嫁入りのシーン②

こういったように風景の記録など、よほどの運に恵まれたところでないと残っていない。

例えば、この近江八幡よりも少し北の長浜に作られた長浜城。戦国期の時代劇ではおなじみで、豊臣秀吉(羽柴秀吉)が築城したことはよく知られている。

今はコンクリート製の模擬城が建っている。

これだって、まったく記録がない。外観がわからない。

それで、なんと岐阜県の犬山城をモデルにした。そうわかって眺めてみると、犬山城以外の何物にも見えないぐらいそっくりだ。

「昔からの風景」なんて、簡単にいわないほうがいいよ……といったお話でした。

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